春ですね!春といえば送別!送別といえばお花。
3月は1年で一番お花を目にする付きでは無いでしょうか。
サクラはもちろん、生花の切り花も。
卒業や退職など、多くのお花を
贈る季節です。
卒業式のお花といえば、本当に
嬉しいものですよね!
私にもそんな想い出があります。
私は、中学の時テニス部で、高校に
入ってからも特に深く考えもせず
テニス部に入部しました。
今思えば、高校の運動部というものは
結構過酷なものだとわかっているのに
根性のない私がよく
気軽に入部したと思います。。
案の定、部活は大変で、朝練、夕方も夜遅くまで
練習、雨の日は階段を6回まで10往復ランとか
していました。
特に、夏の合宿は過酷で
地獄のような日々でした・・・。
そんな中、
2年生の時、夏休みを利用して1ヶ月アメリカに
ホームステイすることを決めました。
2年生の夏の合宿は休まないといけません!
一番大事な合宿です。
しかし、部活も重要だけど、将来の夢に向かって
これだけはしておきたい!と思っての
決断でした。
一部の部員メンバーはかなりヒンシュクの
目で私をみているような・・・でも一応快く送り出して
くれたとおもったのですが・・・
ホームステイから帰ってくると・・・なんと
私のロッカーがなくされていました。
「いますぐ辞めろ!お前のせいで大会に出られなくなった」
など罵詈雑言というか、でも、怒るのも無理ないんですが、
そんな手紙までもらいました。
それ以来部活の中では私は孤独で
だれからも相手にされなくなりました。
(今思えば、そんな中途半端な気持ちで部活を
はじめたのが行けなかったのかもしれません。)
それでも、私は部活をやめませんでした。
ここでは書くのを憚れるほどのひどい
いじめにあい、死にたいとすら思っていました。
唯一相談できたのが母でした。
「あんたは間違っていない、自分のやりたいことを
押し通して
確かにみんなに迷惑はかけたかもしれないけど、
将来のために自分で決めたことでしょう!
ここで部活を辞めたら自分自身にも負けるよ」
と言われました。
「いやならやめなさい」と優しく言ってくれるのを
期待していただけに、驚きました。。
しかし母の言葉で、辞めるという選択肢をなくしました。
すると初めは、無視していた仲間も、一人、また一人と
声をかけてくれるようになり
3年生になる頃には、私をいじめていた
中心人物は、少し悪い方向に向かい
辞めることになりました。
私は黙々と上手にならないテニスを続けました。
そして、卒業式。
やっと!部活からも気持ちよく卒業できる!やりきった!!!
「しまこせんぱい!卒業おめでとうございます!」と
部活の後輩からもらった花束がその感動を
与えてくれました。
もらった時、途中でやめていたらこうやって
後輩からお花をもらうこともできなかったんだなぁ。
としげしげとそのお花を見つめました。
20年以上たったいまも
その記憶がはっきりしているのです!
お花には、そんな力も意味もあるのです。
その時は自分が花屋になるなんて思っていませんでしたが
そんな経験をしたからこそ、いま
送別のお花を贈られるかたのお手伝いに
少しだけ役立てている、そう思います。
いろんな気持ちでお花をもらったり、あげたりするみなさん。
そのお花の想い出を大切に!