心が動くって

2025.12.05 Fri | CATEGORY:日々のおもい

みなさんこんばんは!
シワスです!
カタカナで書くとちょっとおいしそうにも
見えるので気ぜわしさが軽減できるでしょうか?

先日はファン歴38年の奥田民生さんの
ライブに一人で行ってきました。
名盤ライブというもので、かつての
自身のアルバムを全曲曲順通りに
演奏するというなかなか
コアなファンしか行かないような
ものでしたので、こういうのは一人で
噛み締めたらいいと思いました。
60歳でも変わらずゆるーい感じを
演出されていて、でも本当にゆるかったら
こんな曲かけないよねっていうところが
奥田民生の素晴らしさですね!
12月に向けて元気をもらいました!!

さて、元気をもらうつながりで!
ちょっと、コラム的に書いてみました。
長くて申し訳ありません。

夏にある障がい者施設の方から
ワークショップの依頼があった。
計画を立てつつ、気が付けばもうその当日。

特別な下調べもしていないし
障がいのある方の施設というのも
初めてで、どれほどのことができて
苦手なことがどんなことなのかとか
備えなければならなかったか?と
向かう車の中で考えていた。

到着すると
施設の方はとてもフラットで驚いた。
いろいろな注意事項や、やってほしくないことなど
説明があるものだと思っていたが、
私たちに対して、
「障がいを意識してください!」
というのはなく
得意な子もいれば全然できない子もいる・・
たとえるなら3,4歳の子もいれば8,9歳の子もいる
という感じなのだ、という説明。
なるほどわかりやすい!

このお話をいただいたときに
とてもうれしく、すぐにお受けした。
というのも
数年前に障がい者の方の生活について
深く深く、考えるきっかけがあり、
そんなお子さんを育てている方と
お話させていただいた以来
私に何かできることは
ないのだろうか?と考えていたからだ。
けれど知識もなく、
何も行動に移せていなかった。

その方の言葉
「普通と違うって思ってもらっても
いいんです。だってちがうんだから(笑)!
ただ、愛を持ってみてあげてほしい。
がんばってるね!応援してるよって!
時に、街で見かけたら抱きしめてあげてもいいぐらい。
それぐらいその子たちは純粋で
差別されていることに悲しくなったりも
しない、純真な心なんです」と。

目から鱗だった

それまでは
普通の人と同じように「みなければ」という
気持ちになってしまっていたのだ。
まるで腫れ物に触るかのように
見てはいけないかのように。

そんな自分がとても陳腐に見えた。

明らかに大多数の人ができることができない、
その特徴を持って生まれてきたのに
それをまるで健常者をみるように。
そんなの、フリでしかない。
自分は気づいている。その違いに。

それなら
「私はたまたま障がいなく
生まれてきたけど、それがメジャーな
この世の中、マイノリティで生まれてきて
不便なことも多いね、だけど
とてもがんばってるね!
尊敬に値する!」そんな気持ちでいたほうが
自然なのではないか!

それ以来障がいのある方や
駅でいつも出会う
ダウン症がある人をファンのように見つめる
ようになった(笑)
いいんだ、と思ったら心が
軽くなった。
本当に抱きしめたくなるような気さえ
している。

障がいのある方たちが頑張っている姿で
感動すること自体が差別だと
思っていたが、ちがった。
純粋なその気持ちに感動させて
もらってもいいじゃないか!

そんな中いただいた今回のお話。

楽しみな気持ち8割で向かった。
もちろん、そうはいってもそういった
施設に行ったこともないので
重度の方がいても楽しんでもらえるのか?
という不安が2割。

時間になり、
皆さんが教室に入ってきた。
にぎやかで楽しそう。施設の職員さんとの
信頼関係がうかがえる!
愛にあふれている。
もう、泣きそうな私!

ワークショップの内容はできるだけ
簡単にできるように工夫したが
なんせプリザーブドフラワーなので
作業が細かい。
それでもみなさんとても素直で
言ったことをしてくれる。といっても
1回25名を2回だったので、
全員をゆっくり見られたわけではない。
木をスポンジにさすのが楽しそう。
みんなどんどん挿していく。

仕上げのクリスマスマスコット
を選ぶときに目が輝き、
完成品を見つめて
握りしめ離さない人もいる。
最初の不安は無くなっていた。

淡々と作り上げていたし
「楽しい!」などとは言わないが
これで、、よかったのかなぁ?と
少し不安がよぎる。

けれど帰り際に施設の方に
言われた
「みんなすっごい楽しんでいました
集中していたし、これほどおりこうさんに
できたワークショップははじめてじゃないかな?」
と言う言葉。

そうだったんだ!
知らなかった!

もしかしたら本来、
嬉しい!楽しい!
などと声に出さなくても
心で感じていいのかもしれない。

確かにみんな集中して
作ることに真っ直ぐだった。
お花というのはそういった
良さもある。

私と言う存在などちっぽけなもので
花や、作ると言う行為が
少しだけ、私と来てくれた
みなさんとの距離を縮めてくれた。

人をつなげるって何だろう。
普段から
お花で人の思いを紡ぐ

などとたいそうなことを言っている
けれど、
それってどんな意味があるんだろう

そんなことを考えさせられた。
少なくとも今回の経験で
私は本来の私の仕事の大事なものについて
考えるきっかけをいただいた。

また一つ、お花を通じて大きな
出会いがあったことは確かで
きっと今もそのお花が
みんなの家族の心を
キラリと照らしているのでは
無いかと思うとこの上なく
嬉しい。

なんか、障がい者って
他の言い方ないんだろうか。
言うたびに違和感をかんじる。

帰り道
スタッフと
純粋な綺麗な心の
ままでいるあのような方たちに比べて、
我々健常者の愚かさについて
語ったりしてそれもいい
時間だった