なんでもない日ですが
突如西宮阪急さんでイベントさせてもらっています。
2階のトップステージというその名にふさわしい、
館のなかで1番の目立つ場所での催事!
ここで催事してると、お客様は
『阪急がこれがいいと推している』と
いうイメージを持っていいフィルターで見てくださるのもありますし
お客様が前向きであたたかくて優しい!
そしてお花が好きな方が多いです。
まぁ、それだけいい場所なので
なかなか呼んでもらえないのも事実なんですが。。
また、母の日にもどってきたいものです!
さて、
先日実家に帰りました。
母の7年目の命日でしたので
お墓参りやお仏壇きれいにしようかと思いまして、
まぁそれはきっかけで、
父の顔を見るのがメインなのですが!
母が亡くなったのは7年前のこの日かぁ、と
まざまざと記憶が蘇りました。
翌日廟院から母が戻ってきたのは
とってもいい天気の爽やかなこれ以上ないぐらい
良い気候の朝でした。
母の姉妹家族、私たち家族、みんなで迎えて、
悲しいけど、その合間にみんな集まった嬉しさも
感じられ。。
なんか不思議な感覚でした。
この季節は
私の親友のお父さんも、
友人のお母さんも数年前の今頃亡くなっていて
そのことも思い出され
この良過ぎるぐらい良い天気の
爽やかな気候が皮肉にも感じるものです。
だからこそ
悲しみに覆われて暗くて辛くて、という気持ちを
和らげてくれる効果があったなぁと
今になると思います。
悲しんでも悲しんでも帰っては来ないし、
悔やんでもあの日は戻らないのですから!
天気良く爽やかな気候で明るく見送ってあげよう!という
気持ちにさせられました。
7年経っても、
実はまだ母の死に向き合って考えたことはありません。
母の死、というか
母の思い出に、というべきですね。
母を思い出すことが辛くて
閉ざしてきました。
でも、最近ようやく向き合ったり
思い出して笑ったりできるようになりました。
母の写真や動画から目を背けてきましたが、
勇気を振り絞ってみてみると意外と大丈夫。
笑えたりします。
母は、24歳と若く私を産んだせいか?
気性のせいなのか?
よーく怒られました~
大人になっても喧嘩もよくしました。
理不尽だなぁとおもうことも、
たくさんありました。
すごく目立つ人で
なんでも前に出て目立ちたい人で(笑)
母は祖母の話によると昔から活発で
男子交えても大将的存在で
昔から世話好きで、みんなを従えていたそうです。
子供の頃はそんな母がいやでいやで
あの人の娘だとバレないようにしてました(笑)
でも、お葬式の時も、一周忌の時も
母の友達がたくさん集まり
子供の頃従えていた(笑)おじさんからも
母の面白いエピソード聞いたり
母がどれだけ正義感強くて
みんなのために意見したり
弱いものいじめしてる人を
やっつけたり!してたとかいう
話を聞いたりして本当に
みんなから慕われてたんだなぁと思ったのでした。
母が長生きして100歳まで生きたらきっと
そんな話も聞けなかったでしょうし、
こんなたくさん集まれなかったかも!?
私の知らない母の人柄を知ることができたのは
良かったなぁと思うのです。
そして、亡くなって改めて
母を誇りに思うことができるのです。
亡くなることと向き合うことは
本当に辛い事なのですが
一年一年、新たな感情の変化があり
悲しさだけではなく、私をより強くしてくれるものだと
感謝の気持ちを噛み締めています。
実は、スタッフや身近にも
お父さんやお母さんの、闘病を支えてる人がいて
覚悟を持たざるを得ない状況だということなのですが
残された時間があり、それが実は
長ければ嬉しいし、なによりなのですが
もしかしたら限られた時間かもしれなくなるので、
一緒にいられる時を大切に大切にして欲しいと願うのです。
私は就職してからゆっくり
母と何日も過ごしたことなんてなかったのです、、、
でも、亡くなる前の、1週間
病院のベッドで母は目をつぶっていたけれど、
ずっと寄り添い、横に寝てみたり手をずっとさわったり
返事はないけどたくさん話しかけた
あの時間は私に取って今でもかけがえのない時間だったと
嬉しい時間だったと思うのです。
生きていたら「触らないで!」って
言われそうだし(笑)
「反応はしないけど、聞こえていると
いわれているんだよ」という
主治医の先生に言われたことが
これからも私を勇気づけることでしょう。