あぁ、秋めいてゆっくりチャイでも飲みながら
音楽を流して漫画を読んだり
編み物をしたい季節になってきたというのに
私といえばバタバタとせわしない生活をしていて
せっかくの大好きな秋を満喫できていません。
クリスマスが近づき、
ディスプレイやクリスマスのイベント、
ワークショップの準備で追われています。
チャイ、そして編み物。
そんな生活から遠ざかること何年なのでしょう。
老後の楽しみに取っておくことにしましょうか・・・。
さて、先日心に響く出来事がありましたので
その時の感情のままコラムとして残したものがあるので
それを今回の記事にさせて頂きます!
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私は文房具が好きだ。
まぁおそらく誰もが文房具が好きであろう。
なので、文房具屋があるとついつい立ち寄ってしまう。
書きやすいボールペンを探したり
用途もわからないまま素敵なノートを見つけたり。
昔はレターセットをよく探した。
手紙を書くのが好きだったし、
今のようにインターネットの発達していない時代は
手紙が当たり前のツールだった。
しかし先日文房具にいきなにげなく、
レターセットの売り場をみると種類が極端に少ない。
大きな3階建ての文具屋なのに3、4種類ほど。
これだけ需要が減っているということなのか。
ある日私は10年ほど前からの友達に仕事上のお願い事をした。
結構大変な仕事で、申し訳ないという気持ちもあったが
快く引き受けてくれた。
彼は私よりずいぶん若くて
とても礼儀正しい、好青年、いや
彼をそう表すのには相応しくない。
カレーの匂いが全身から漂う南インドに惹き込まれた男子。
彼はその依頼の当日にとてもタイミングを計らい
私に紙袋を渡した。
お誕生日おめでとう、と言われた。
ずいぶん誕生日は過ぎたけど
覚えていてくれてありがとう、と
気軽な気持ちで受け取った。
開けようとすると
「今開けないで!」と。
その夜帰って、そうだ!と思い出し
その紙袋を開けてみた。
なかにはいろんな素敵なプレゼントと
一通の手紙が入っていた。
私をイメージしてのことか
決してメルヘンではない、切り絵のようなテイストの
花柄の封筒だった。
その時点で、私は大した期待もしていなかった。
(手紙といっても、おめでとう!ぐらいだろうな)
ところがうっすら透けて見える
文字数に期待が膨らむ。
(なにやらたくさん書いてあるぞ)
内容は割愛するが、期待以上に
私の喜ぶような内容が書いてあった。
決して達筆でもないが綺麗に丁寧に
書いてくれたのが手にとるようにわかる。
私はじーんときて、小っ恥ずかしくなり
すぐにしまった。
しかし、お風呂上がりにまた
開けて読んだ。
うーん。
どんなシチュエーションで書いたのか、
どんな思いでいてくれたのか。
今回依頼した仕事の件のお礼も書いてあった。
仕事でお願いしたのに
本人は謝礼を辞退したいと何度も言ってきた。
仕事の関係ではなく、
誠意でこの依頼を受けてくれたのだな、と
思いが伝わってきた。
それなのに私といえば
朝来てくれたと同時に
今日はありがとう、忘れるといけないから、と
断る彼に無理やり謝礼を渡し、
無理やりサインもさせた。
私は仕事で依頼するから、
良かれと思ってのことだが!
そのときのシーンが頭に浮かび、
急に私の振る舞いが恥ずかしくなった。
仕事依頼したんだから、と
お金を無理やり渡すことが
彼にとってもいいことなんだ、と
思い込んでいた。
しかし手紙を読んで、もちろんその手紙は
前日までに書かれたものだし
謝礼をもらう気なんてさらさらないのに、
感謝の気持ちが書いてある。
僕がお役に立てることがあり
本当に嬉しい、ありがとう、と。
なのに、私といえばお金を彼にねじ込んで、
これは仕事だから!と進めるだなんて。
本当に恥ずかしい行いだった。
彼は、困り顔で、ではこれでまたみんなで
ご飯に行きましょう。と言ってくれたけど、
今思えば悲しい気持ちになっていたのかもしれない。
それほどまでにこの手紙からは純粋な彼の
私との縁が繋がっていることへの
感謝が伝わってきたのだ。
手紙の力はすごいと改めて思った。
コンピュータ上の文字のやりとりで事足りている現状、
かなり、かなりのそう言った気持ちの繋がりが薄れてきている。
手紙というものは文字から、
選ぶ便箋から、雰囲気から
気持ちがぐいっと伝わる。
メール、LINE、メッセージに頼らず
手紙を時に書こう。
まずは、心清き君への返事から。